2010年の新論文・エッセィ

(2010/01/14)  【學藝随想 第52回】 砂漠が言語と宗教をつくる ― ウズベキスタンの旅

中山恭子氏といえば自民党政府のとき、北朝鮮の拉致問題で活躍され、夫の前文科大臣の中山成彬氏と共に政界で活躍されている。

(2010/01/22)  【學藝随想 第53回】 日本「辺境」論の偏狭さ

ある雑誌から短いエッセイを書いてくれと依頼されて、最近本屋で眼にした内田樹氏による『日本辺境論』(新潮新書)を取り上げた。

(2010/04/26)  常陸紀行

天平時代(八世紀はじめ)に書かれた『常陸国風土記』を読むと、常陸を水陸のめぐみ豊かな「常世の国」と誉め称えている。

(2010/04/26)  日本の美――奈良時代「古典美術」論の確立のために

日本の「美」といえば、日本人は自然の美、とくに富士山の美しさに典型とされる山々や海の美しさを考える。

(2010/05/14)  「自然」という言葉の東西 (アドルノ論のためのノート)

驚くべきことに、「自然」つまり英語のNature「ネイチャー」を示す言葉は明治時代の日本に西洋語が入って来るまではなかった。つまり「人工」Artと対立する「自然」という概念がなかったことを示す。

(2010/06/02)  アルブレヒト・デューラー(Albrechit Durer)

今日はデューラーの話をします。1978年に私は1年ミュンヘンにいまして、その時感じたことは、デューラーという人はイタリアなしには語れない人だということです。

(2010/06/21)  史的唯物論の崩壊を

戦後日本の歴史観は経済が社会の土台である、とし、物質的世界が基本で(「下部構造」)、後の政治、文化、宗教などは、「上部構造」として社会を分析しようとしてきた。

(2010/09/01)  「近代・進歩史観」の虚妄

日本の歴史をどうとらえるか、と言う問題にここ十数年取り組んでいる。 
私が東北大学時代から西洋美術史から日本美術史にシフトし、さらに日本文化史、そして日本史へと、その考察を進めているのは、歴史をどう見るか、という私自身の学問の関心の広がりとともに、将来の世界の文化史、歴史への構想があるからである

(2010/10/01)  「やまとごころ」が自殺を救う

日本人の自殺者が三万人以上もいることが問題になっている。人口比率からいうと、旧社会主義国リトアニア、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン、・・などに次いで多いという。

(2010/11/05)  「やまと・ごころ」という宗教

日本人は、君は何の宗教をもっているか、と聞かれると、たじろいで自分が無宗教でないか、と考えてしまう。また多少とでも宗教をもっている人々でも、そのあいまいさに自分が本当にその宗教の信者である、とは思っていない。