【學藝随想 第52回】 砂漠が言語と宗教をつくる ― ウズベキスタンの旅

中山恭子氏といえば自民党政府のとき、北朝鮮の拉致問題で活躍され、夫の前文科大臣の中山成彬氏と共に政界で活躍されている。 そのやさしい物腰で拉致被害家族に接しておられたので記憶されている方も多いであろう。 日本ではこの拉致問題により、左翼神話、共産国神話が崩壊したといってよく、横田夫妻と共にそのシンボル的な存在であった。 しかし氏が文化問題を政治家としての課題に取り組まれ、活動されていることはほとんど知られていない。 彼女は東大の仏文科の出身で私とほとんど同期である。成彬氏に紹介されてNHK文化畑を退職された友人の共に、彼女を議員会館に訪ねたときも、我々の日本文化の価値を国民に知らしめる運動を支持され、彼女自身の組織する講演会にお招きを受けたほどである。

そのとき氏が『ウズベキスタンの桜』という本を下さった。 これは彼女がウズベキスタン大使として過ごした3年間の体験を書かれたもので、日本人技師拉致事件や日本との文化交流のイヴェント、そしてとくにソ連時代に日本人の戦争抑留者がこの土地で強制労働をしいられ、命を落としたその墓地のことなど、詳しく書かれている。 とくにこの本を読んで、日本人のソ連による強制労働は25000人に上るだけに1度はお参りしたい、という気にさせられた。 こんなところにまで、日本人の戦争捕虜が、ソ連の謀略によって抑留され働かされた、と考えると、これだけでも日本と中央アジアの関係が深いものがある、と感じられた。

私は前から日本文化形成において、中央アジアの影響があった、と考えていたから(正倉院の宝物の多くは中央アジアのものである)、この中央アジアに関心を抱いていた。中山氏の本をきっかけに、冬休みの機会を利用してサマルカンド、ブハラ、タシケントを訪れてみた。

広漠な砂丘が続くウズベキスタンの砂漠の様子

広漠な砂丘が続くウズベキスタンの砂漠の様子

飛行機でタクラマカン砂漠を過ぎると、岩山の山脈があらわれる。 黒々とした岩だけのむき出ししの山肌には緑色はほとんど見えない。 荒々しい岩山が砂漠と続く。 その中にオアシスとしての都市がつくられる。 タシケントとはそんなところにある。 現在はイスラム教の国として沢山のモスクがつくられているが、そこは荒野の中のオアシス都市なのである。 それはサマルカンド、ブハラを車で廻って見た時の印象も同様であった。 中山氏もその本で書いているように、《たまたま与えられた日本の優しい環境、緑に覆われた日本の柔らかな自然に改めて感謝の気持ちが湧きました》と言うほど、周囲は日本の風景と対照的で、広漠としたものなのである。

私の海外体験はヨーロッパであったから、スペインなどの禿げた山々の荒れ地を除くと牧場的な環境を見ることが多かった。 そこから西洋文化が生まれたことは、余り違和感はなかったが、この荒れた砂漠的な環境から何が生まれるか、ということに思いを致すと、それは日本と全く対照的なもののはずだ、と思わざるをえなかった。

ゾロアスター教という宗教はイランのもののように言われるが、実をいえばその教祖が在世したのが、まさにこのウズベキスタンの辺のアム・ダルヤ河の周辺だ、と考えられている。 むろんイスラム宗教も砂漠から生まれた宗教と言われるが、しかしそれよりはるか以前に生まれているのがこのゾロアスター教である。 紀元前12世紀から前9世紀の間に在世した「古代中央アジアの原始アーリア人神官」であったゾロアスターから生まれた宗教なのである。

ある晩、ドクターヴ(乳絞りの女という意味)という女性が、星が降るように降臨してきた「栄光の光輪」を飲み込み、生んだ子供がソロアスターであったと言われる。 母の胎内で、霊的世界と物質世界が混合され、妊娠したのだ、という。 悪魔がこれに危機を感じて出産を妨害しようとしたが、善なる神々の庇護によりゾロアスターは「哄笑しながら」誕生したという。 この伝説はニーチェの『ツアラストラかく語りき』の中で語られ、そこではこの人物はやたらに哄笑している。

神官として教育されながらも、20才で出奔して彷徨し、30才になって中央アジアのある河の畔で、大天使に召され「善なる神、アフラ・マスター」に会うことが出来た。 そして「善なる教え」を述べ伝え始めたのである。 「ガーサー」つまり仏教でいう「偈(げ)」(教理を誉め称えること)を開始し、《私は説き聞かせよう。世の始元の二霊を。それらのうち、より聖なる方は邪悪の方にこう語った。・・悪は善と何も一致しない》と。

つまり善悪二元論の主張である。 しかし何が善で、何が悪と現実の問題について語っているのではなく、ただこの世には善と悪がある、と語っている。 具体的にはアフラ神や天使が善なる神で、ダエーヴァの神々が悪魔だという。 つまり現実の善悪を判断するよりも、悪という観念そのものを創出したのだという。

彼の善悪は、その概念の発見であり、言葉の発見なのであった。しかしそれこそが新しいことであったのだ。 最初は誰も信者をえられなかったのも当然のような気がする。 40才になって初めて弟子をえたがそれは従兄弟であった。 しかし42才になってその考えが受け入れられ始めた。 概念が現実に感得され始めたからであろう。 それまでは善悪の関係で見られたことのない2つの神々のグループがその善悪のレッテルを貼られることによって、具体的に感じられるようになったのである。 「悪魔」のレッテルを貼られた神々に仕えていた神官に不満が出たのは当然である。 実態を伴っていないからであろう。 しかし彼らの犠牲の上に立って、善なる神々と対決する悪魔たち、という二元論が確立した。 何やらおかしなことであるが、これが思想の発見というものである。

世界が善と悪の闘争である、という考え方は、単に2つの神々の群れのどちらかを選ぶか、という選択の問いが生まれる。 善悪の間の人間の自由意志を問うという姿に宗教に変貌していったのだという。 これを思想の自立ということが出来るが、日本人には到底受け入れることが出来ない思考回路である。 概念から現実を見るということは、真実に善と悪のバイアスをかけるということであり、それは現実を見間違えることになるということは容易に気づくことであるからだ。 これが近代になってマルクスの歴史が2つの階級闘争のそれであると規定するまで続くと言ってよいだろう。

日本人がなぜ偉大なる宗教の始祖が生まれなかったかは、この宗教の成立でもわかる。 観念の発見が、実際の在り方と齟齬していることを日本人が認めなかったからに違いない。 日本の神道に教典がないということは、それをよく示している。 『記・紀』に示される物語が教典として概念化されえないことにも示されている。 日本人には教祖の言葉の規定よりも、現実の方がはるかに真実だ、という経験があったに違いない。 一方このサマルカンドの郊外の砂漠を見て、現実がいかに荒獏としているかを実感して、この言葉の発見の優越性を理解せざるをえなかった。

ここから、生が善で死が悪である、という二元論に至り、人間は死という悪の軍門に一旦下る、という思想にいきつくことは容易に察せられる。 しかし生前の善行が悪行に上回った場合は天国に行くことになる。 これがキリスト教の「最後の審判」の概念に結ばれていくことが理解出来る。

そしてこの宗教が拝火教と言われるように、火を生の象徴とし、善のシンボルにする、という形をとることも想像がつく。 この火への礼拝は、イランで強まったと言われるが、こうした内陸の砂漠地帯では寒暖の差が激しく、夜になると火が必要になってくることも拝火の要因であっただろう。

このゾロアスターの概念構想が、ギリシャ哲学や、ユダヤ教、キリスト教などに影響を与えたと言われる。 私はこれらの思想が、中央アジアの風土と似ているところに、共通な思想を生みだした、と思わざるをえなかった。 前1世紀以降、この思想がメソポタミア平原以西に伝播し、イラン高原、そして現在の西洋宗教思想に影響を与えていく。

ギリシャ哲学ではヘラクレイトスが火を世界秩序の要として重視し、《万物は流転する》と述べたことは知られている。 プラトンのイデア界と現実界の分け方も二元論であり、それが善と悪に分けられている、と言ってよい。 イデア界が善であるのだ。 何よりも言葉による観念の創造という点でプラトンに先駆しているのである。 ギリシャで生まれたオリンピックのシンボルの「聖火」もゾロアスター教に起源をたどれるかもしれない。

ユダヤ教においても至高の神と人間の差は大きく二元論ということが出来るが、そのふたつを仲介するものとしての大天使の存在がある。 これはゾロアスター教の大天使「ウオフ・マナフ(善・思)」の存在と似ているところがある。 神の偉大さを示す「知恵の書」の類もこの「善・思」の存在と共通する、という。 しかし何よりも旧約の『ダニエル書』で終末論やメシア待望論、至福千年説などが説かれるとき、地上の時間の終わりを説くゾロアスターの考え方の反映があると言われる。 善と悪の間で戦われる最終決戦もそこから来ているのである。

キリスト教の「東方三博士の礼拝」ではキリストが誕生する前夜、東方から星に導かれて東方の賢者(マゴス)がベツレヘムに訪れ、黄金、乳香、没薬を捧げるが、そのマゴスとは、ゾロアスター教のマゴス神官団のことだ、という説がある。

日本にやってきたゾロアスター教の影響については別のところで論じるつもりであるが、いずれにせよ、この強烈な砂漠の宗教が、日本の宗教思想と異なる観念化された言葉の宗教として対照的なものを持っていることは、この旅で風土の違いを見て実感できた。