日本の「美」といえば、日本人は自然の美、とくに富士山の美しさに典型とされる山々や海の美しさを考える。 これは奈良時代の『万葉集』の昔から、日本の美が農耕に結びつく、自然の美をうたう歌が多く、『古今集』の後は、桜をはじめ樹木の風景やその変化をうたうものが多いことでもわかる。 これは江戸時代の芭蕉の俳句の世界まで続いている。
しかし西洋人たちは、一国の誇れる「美」というものは、自然にあるものを考えず、人間の造った美術作品を最初に考える。 決して西洋の「美」にアルプスを挙げることはない。 バラを西洋の象徴などと言わない。 自然は人間のつくったものに比べると劣ったものと考える。 彼らはパルテノン神殿や聖ピエトロ大聖堂の彫刻美をあげ、そしてダ・ヴィンチの『モナ・リザ』やミケランジェロの『最後の審判』など絵画作品を挙げるのである。
しかし日本の美は自然だけであろうか。 日本に西洋に匹敵する美術作品がないのであろうか。そうではない。 同じ七世紀の法隆寺と伊勢神宮の対照的な建築美ばかりでなく、飛鳥時代の『百済観音』や天平時代の『阿修羅像』『日光・月光菩薩像』、戒壇院の『四天王』など日本の美術は、一国だけでも西洋に比較できる傑作がある。 鎌倉時代の『無着・世親』像、『波籔仙人』『摩和羅女』などの彫刻作品、『源頼朝』『平重盛』や『平治物語絵詞』など、決して西洋絵画と見劣りはしないものが多い。
しかしなぜ、多くの日本人たちが、こうした日本の「美」を語らないのであろう。 おそらく若い日本人は、私があげた美術作品をひとつとしてイメージ出来ない人がいるに違いない。 それほど日本人にとって、美術作品というと、なじみが少ないのである。
いったいどうしてであろうか。 私が挙げた多くの美術作品が、仏教美術だからであろうか。
私は日本の知識人の多くが、ヘーゲルの『美学講義』の芸術の三段階説にとらわれ、その呪縛の中にあるからだ、と思っている。 少なくともそこから発する、西洋中心史観に明治時代以後、マインド・コントロールにかかっているのである。 その観念は、東大、京大のお抱え教師から学んだ哲学であるからだ。
このヘーゲルの考え方は、歴史哲学でもアジアは最も遅れた個人の自由が最もない歴史段階と考え、宗教哲学でも、アジアを儒教圏とらえキリスト教よりも低い段階のものと規定し、そしてこの美学でも、アジアを芸術の前段階にある「象徴的なるもの、あるいは東洋的芸術」と述べているからだ。 それがほぼ、マルクスに受けつがれ、左翼知識人の常識になりはててしまった。 それが大学で教えられ、大学の教授陣のみならず、そこで教育された官僚にまで及んだ。 むろんジャーナリストたちもまた同じ教育で育ったのである。 従って、政府の観光事業も仏像は入っていない。
ヘーゲルは次のように言う。 「アジアの芸術は汎神論の信仰に立ち、神のみの象徴として自然を扱うところに生じるもので、そこでは理念がその表現(形態)を節度なく支配しようとするために、形が拡大したり、歪んだりし、グロテスクなものになる」という。 これは「崇高」には属するが、「美」には属さない、というのだ。 これが第一の段階のもので、第二の段階のものは、ギリシャやローマの「古典美術」で、内容と表現形態がよく一致し、芸術として完成したものだとする。 そして第三の段階は、「ロマン主義的あるいはキリスト教的芸術」で、精神が自らを示すために統一的な表現形態をとるものという。 これをヘーゲルは「芸術を超える芸術」とする(『西周全集』第四巻、崇高書房、参照)。
この規定を明治の美学の先駆者、東京芸術大学の創始者、岡倉天心が学んでしまったのである。 「ヨーロッパの学者が好んで過去の芸術の発展を分類するのに用いる三区分は、どうやら精密さに欠けるとはいえ、やはり必然的な真理を含んでいる」と述べて、物質の形式が芸術における精神を支配した東洋的「象徴」の時代、精神と物質がよく合一した「古典」時代、精神が「物質を征服しないでは止まない」近代的なロマン主義の時代と三段階に分けて、アジアの美術史を論じたのである。 そしてその第三の段階にあるものを、日本の仏教美術は取り上げないで、 室町時代の芸術こそ、「真の近代芸術、文学的な意味でのロマン主義をひびかせるに至った」と言っている(このロマン主義については、鈴木貞美「東洋的ロマン主義」『わび・さび・幽玄』水声社、所収、参照)。 そして天心は『日本美術史』では、ヘーゲルの「古典」段階にあたるものとして、日本の奈良時代の芸術を挙げたのである。私はそれに同感するのだが、それより上の芸術にヘーゲルの「ロマン主義」を取り上げてしまったために、日本の「古典」が沈んでしまったのだ。
天心がヘーゲル理論を「精密さに欠ける」というだけでなく、もともと、ヘーゲルの歴史、宗教、芸術、すべての見解がおかしかったのだ、という否定論から始まらないと、日本の「古典芸術」の時代が、奈良時代にある、という歴史観は確立しないのである。日本は「近代」ヨーロッパのように、「古代」ギリシャ・ローマと別の宗教文化の国ではないからである。 私は『新しい日本史観の確立』文芸館で「アジアを遅れたものとする西洋中心史観――ヘーゲル史観が日本の歴史観を狂わせた」で、ヘーゲルが日本の仏教を全く知らなかったことを指摘した。 いや東洋の仏教自体に無知なのであった。 この大きな知識の欠如が、アジアを低く見る根拠となっていたのである。 キリスト教こそが最高の宗教段階にあるという俗論を、ヘーゲルはその無知からつくり上げてしまったのである。 彼はアジアを中国の儒教からしか理解しなかったのである。
いずれにせよ、日本のヘーゲル・マルクス史観が、日本の知識人に奥深く定着しているかぎり、そのマインド・コントロールに陥っている、人のいい日本の学者の日本美術の見方は容易に変わらない。 素人が天平美術はすばらしい、とあの興福寺の「阿修羅展」に劣をなしたとしても、奈良時代が「古典美術」として、世界に輝くことに影をさすことになるのだ。 見ても、見ることが出来ない、日本の「ヘーゲル知識人」の悲劇なのである。