「やまとごころ」が自殺を救う

日本人の自殺者が三万人以上もいることが問題になっている。人口比率からいうと、旧社会主義国リトアニア、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン、・・などに次いで多いという。これらの国は概して北国で、寒い国は憂鬱になって、酒を多く飲み、自殺者も多い、などと気候のせいにする人もいるが、共通するのは、これらの国々が旧社会主義国で、宗教を否定してきた国であることだ。数字は出ていないが中国も北朝鮮も多いと言われている。

社会主義国の特徴といえば、唯物論の国であることである。「宗教はアヘンである」というマルクスの言葉が徹底した国々である。ベルリンの壁が崩壊しても、簡単に宗教は復活できないらしい。そのイデオロギ―が無くなると、まさに物質主義者、拝金主義者が多くなってしまう。中国でもロシアでもそのような人々が多いことはよく耳にする。

それなら社会主義国でもなかった日本が同じようなのはなぜか、ということになる。日本は経済大国であり、貧しい社会主義の国々と異なる、と皆思っている。それに日本人の自殺観は、特別のもので、伝統的にキリスト教徒のように自殺への罪悪観がないからだ、と心理学者はいう。腹切りとか殉死とか、自殺は悪いものではない、という伝統がある、と。しかし現代の日本人の自殺の増加はどうもそうしたサムライ精神の発露ではなさそうである。

とくに日本が、資本主義国として隆盛を誇っていることは、数字上確かなことである。しかし日本人の心が、なにやら旧社会主義国の人々と同じ心境におかれている、ということは考えなければならないことだ。つまり戦後日本が「宗教をアヘンである」とする社会に似た国になってしまったこと、伝統的文化をないがしろにし、社会主義と同じことをしている日本の戦後社会になっているのではないか、という問題である。確かに戦後、国家神道が否定され、宗教からの自由がうたわれ、学校教育では宗教は教えられていない。自分は無宗教だ、と思っている人々も多い。

では日本に本当に宗教心が無くなったのだろうか。私はそうは思わない。キリスト教やイスラム教のような宗教と違うものがあるのである。例えば正月に一億人近くの人が初詣で神社仏閣に訪れることに示されるように、決して習慣が消えているわけではないからだ。 私は最近、『「やまとごころ」とは何か』(ミネルヴァ書房)という本を出した。

そこでは日本には西洋的は宗教概念ではとらえられない「やまとこころ」があり、それが神道も仏教も儒教もキリスト教でさえも包含するような伝統精神となっていることを、日本の古い歴史を振り返りながら論じたものである。幸い関心をもたれているようだ。

日本人の宗教心は、戦後、言論上で消されただけで、心に深く残っている、というのが私の分析である。それをもっと意識化することにより、たとえば自殺という、命を粗末にすることが少なくなるはすだ、というのが、私の見解である。祖先や自然から受け継いだ血や体を大事にしなければならない、という気持ちが、都会的な「おひとりさま」という欺瞞を断ち切り、その孤独な自殺を救うひとつの動機になるのである。