「自然」という言葉の東西 (アドルノ論のためのノート)

驚くべきことに、「自然」つまり英語のNature「ネイチャー」を示す言葉は明治時代の日本に西洋語が入って来るまではなかった。 つまり「人工」Artと対立する「自然」という概念がなかったことを示す。 このことは、「ネイチャー」を客観化する視線や見方がなかったことであろう。 たしかに「森羅万象」という言葉は使われたが、宇宙間に存在する数限りない一切のものごとのことであり、自然だけのことではない。 人間のことも入るのである。 「天地」であろうと、「万物」であろうと、同じことである。

日本では、元来の《「自然」という言葉は、もと中国からきた概念で、存在を示す言葉ではなく、状態を表すものであった。 「老子」では、人為を加えない本来のままであること、無為であること、物のあるがままであることを、理想として「無為自然」を主張した。 日本に入った時もこの意味で使われ、「自然」(じねん)とも呼ばれて、人為の加わらないようす、わざとらしくないこと、物の本来の性質、物事がおのずから展開していくさまを指してよび、この意味での言葉の用例は後代までみられる。 法=物事が作為をこえて自然に存することを言う「自然法爾(しぜんほうじ)」の理念は中世を通じて共有され、明恵はこれを「あるべきやうわ」と和語で表現し、慈円も歴史の流れを「法爾自然にうつりゆく」ものとして捉え、これを「道理」と結びつけた。 ただし、仏教の根本概念としては、はじめから決定されているとするのは人の努力を否定する宿命論であるとして、これを批判する見解が古くからある。 「自然」という語は、やがて、物事が偶然におこる様、万一の予側できない異常な事態がおこることをさすようになり、もしかして、ひょっとしての意味でも使われるようになり、この用例も多い。

いずれにしてもこの言葉は、はじめは自我の隔離された対象的世界、森羅万象を示す「天地」「万物」とは区別されていた。 その世界が「自然」という文字で表現されるようになるには、近代前後にいわゆるnatureの訳語として「自然」をあてて以後のもので、その後はこの二つの意味が混在して自然観念は複雑なものになった。》(『日本思想史事典』山川出版社)。

しかし近現代の西洋のNatureの輸入訳語としての「自然」も決して、日本人が使っている「自然」ではないことがわかる。 日本人の自然は、やはり「森羅万象」の意味で使い、人間の造ったものと異なる、自然界、物質界、という概念ではない。 西洋的概念のような人工物artと対立する物質界という「自然界」ではないのである。

私たちの「自然」は太陽、星、地球、空、海、山、川、動植物などのことを言うだけでなく、人間そのものも動植物の中のもっとも独自な存在として、自然の一部となっている。 従って、人工物もその中に含まれてしまうことになる。

興味深いのはマルクスの「自然」概念である。 それは言葉の上では、日本の「自然」概念と近い。 たしかにマルクスは《自然をそもそも初めから人間的活動に相対的なものと見る》のは伝統的な西洋の「自然」概念であるが、《自然についてのその他の一切の発言は、それが思弁的なものであれ、認識論的なものであれ、自然科学的なものであれ、人間の技術学的・経済的取得様式の総体、つまり社会的実践をその都度すでに前提しているのである》(A・シュミット『マルクスの自然概念』法政大学出版会)。

このマルクスと日本人の「自然」概念が、似ているように見えて、その決定的違いは何か、それを述べることが、日本人の思想の世界化に通じるに違いない。

私は『澪標』(日本保守主義研究会学術誌、京都大学、電話070-6513-9977 編集長・早瀬善彦)という雑誌に、フランクフルト学派のアドルノ批判を連載し始めたが、このマルクスとアドルノの「自然」概念をめぐって書くつもりである。 このノートは連載2回目の序のために書いたものである。