イタリアでの大災害についての講演

先日、イタリアで講演を二つしてきた。ひとつはボローニャ大学での「日本の美学」についての話であり、他方はサルデーニャのサッサリと言う都市の美術アカデミアでの「日本美術」の講演である。西洋最古のボローニャ大学の招待の方は、名誉なことであったが、もう何度か行なっており、そこでは、日本の美術が、西洋に匹敵することを、かなり慣れてきたイタリア語で、パソコンの図版を使って語った。

他方、サッサリの方は、市のアカデミア出版局が、私の『日本美術全史』のイタリア語版を出版してくれるので、それを記念した企画してくれたものであった。ここのアントニオ・ビサッチオ館長が招待してくれたもので、彼がボローニャ大学のミラーニ教授の学生であった関係で、この出版を引き受けてくれた。その装丁など見せてもらったが、原本である講談社の日本語般や、英語版よりも、はるかに豪華に、そして大きな写真入りでいかにもイタリアの美術書らしく豪華に造られていた。これならイタリアの読者に、日本美術の素晴らしさを訴えることが出来るだろう、と思った。少なくとも、私の日本美術史は、芸術論として述べられており、ただ各時代の美術品の解説をつなげた旧来の日本美術史と異なる、ということが評価された結果だと自負している。

ボローニャ大学のそれは、学生のためであったので、専門の学生は教室に半分ほどにすぎなかった。しかしサッサリ市のものは、満員の盛況であった。この講演会は、もし私の本の出版記念だけであったら、到底こうはならなかっただろう。ところが、立っている人もいるほどだったのは、むろん今回の大地震のおかげであった。あたかも私は日本の被害者代表のような立場に置かれた。

講演に先立ち、何も知らされていなかったが、市長の挨拶、アセッソ―リ(文化担当)、アカデミアの方々の談話が読み上げられた。そこには日本人の今回の地震と津波に対する

励ましと賞賛の言葉で満ちていた。情報は現代では、世界中に行きわたり、その津波のひどさと、人々の意外なまでの落ち着きに驚いたらしい。そしてこの町への訪問の記念にと、お祭りの写真集や文化遺産のアルバムを頂いた。

私はそれに答えて、サッサリの皆さんの声援に深く感謝するというお礼と、次のような話をした。西洋にはキリスト教がその裏に潜んでいる。「神」が善で、「自然」は悪という思想だ。

ここで、私の講演の内容をここで思い出しながら書いておこう。原稿なしのぶっつけでイタリア語で語ったことなので、だいたいの内容である。

今回の大地震について、皆さまの熱い連帯と声援に深く感謝します。私自身、仙台に長くいて、教鞭をとっていたこともあり、大変心を痛めておりました。

今回の大地震と津波を体験し、大事なことは、改めて自然の巨大さに気づいたことです。被災された方々の悲しみが、自然を恨むのでも憎しむものでもなかったことです。その前に、その巨大さに圧倒されました。この体験は、日本人のもともとの自然観を思い起こせました。人間が自然と戦い、それを支配しようとする、という「近代」的自然観ではなく、自然を畏敬し、それと共にある、という心の在り方です。

西洋では、日本の地震の報道に、日本人が自然の恐怖の下で、それ対して毅然と立ち向かっていく姿に賞賛をおくってきました。しかし日本人は決してそのように捉えたのではなく、むしろ自然の超越的な力に、言葉を失なったのです。そこには西洋的な自然に対する恐怖ではなく、逆に畏怖の念だったと言っていいでしょう。「やまと」民族がもともと「山」に象徴される自然と共に生きて来た伝統的な精神だったと考えます。

日本にはnatureにあたる自然という言葉は江戸時代までは、ありませんでした。明治以降「近代」になって、翻訳語として使われたのです。自然とは「自ら然かり」という意味であり、ネイチャーではなかったのです。ネイチャーは、個々の名詞で呼ばれました。山、川、谷、水、火、気、土・・というように個々のものを名づけるだけだったのです。

それは、自然全体が対象化され、観念化されるのではなく、個々の現象だけが問題だったのです。富士山、桜、梅、など春夏秋冬が、和歌の季語となり、日本人にとって、親しく、喜ばしいものであったのです。しかし一方で、自然の厳しさも知っていました。つまり個々の自然現象そのものが、怒っている、と見られたのです。

面白いことに、日本の仏教美術史を広げると、天部といわれる彫刻が、その自然をあたかも象徴化しているような表現になっていることです。天部というのは、インドのデ―ヴァという自然の精霊を示す像に由来をもっている、仏教以外の宗教から来た像を主流をなしています。

まず皆さんに私の本の中から、天平時代の仏像を取り上げましょう。梵天・帝釈天、四天王像とか、十二神将、、金剛力士などありますが、ほとんとが「忿怒像」を示しています。(東大寺、戒壇院の四天王像を図版で示しながら)、この東西南北の守護神をして四つの像とも、怒りの像を示しているのです。このような「怒り」は西洋にはないもので、キリスト教美術では、怒りそのものが否定されています。しかし、日本では、単に、仏陀に対する異教徒への怒り、というばかりでなく、人間にもともと存在する我執に対する内面的な怒りを示している、と言ってもよい。自然が、人間の驕り、高慢を叱っている、という意味を持っているようです。従って、それは人間のいやしさを越えた「高貴な怒り」として表現されているのです。

世界の美術史上で、日本美術で初めて、「高貴な怒り」が表現された、と言ってよいと思われます。それは同時に、自然の怒りでもあるのです。山岳宗教から来た仏教の忿怒像に蔵王権現という垂迹神がいますが、それも自然の神を表しているものです。風神、雷神など、自然の神が、皆怒っている。自然が男性として擬人化されると、常に「怒り」で表現される、というのも、日本美術の図像学として、特別なものを持っています。

それと同時に女性的な『日光、月光菩薩像』では、「慈愛」が示され、超越的な人間像として、「忿怒像」と対照的な美しい姿を表現しています。

他方、同じ作家が、『鑑真』像や『行信』像をつくり、日本の肖像の白眉として、示しており、それは生の人間像として、意志と諦観を表現しているようです。自然と精神の調和と言ってよいでしょう。

その作者は公麻呂(きみまろ)、国中連(くになかのむらじ)公麻呂(きみまろ)です。『続日本紀』でも、彼が大仏を作った仏師であることが記され、また彼自身が、東大寺に長く関わってきており、その作風の高貴さが一貫しております。

ところで日本では、作風を見る、個人様式を見定めるという、鑑定眼が余り発達しておりません。眼のない美術史家が、ただ資料だけを相手に、その証拠をさがしているために、この作家認定が出来ない例が多いのです。それが仏教美術史家だけでなく、アカデミスムの美術史学の教授たちまでそうなので、美術史学の前提である、作者認定という基礎作業が出来ず、学生も迷っていますが、私の本では、多くの方々の支持をえて、作者認定を行っています。

この私の『日本美術全史』では、このような作家同定を行っており、これが特色となっています。今度のイタリア語版で、写真も鮮明になっていますので、それを皆さんも確認出来ると思います。

一方で、絵画における自然描写の美しさを長谷川等伯の『松林図』(東京博物館)や、北斎の『富嶽三十六景』の二,三点を示しておきます。絵画表現では、仏像の天部表現とことなって、自然の讃歌をうたっています。そこには自然との同化、一体化が感じられるようです。、日本人の自然観の多様な表現は、西洋の自然観が、人間と対立関係にあったり、無関心であったりするのと異なっています。

以上のような、拙著における、日本美術史の概観を講演の中で行った。その翌日のサッサリの新聞文化欄には「日本人の自然との特別な関係を語る」という記事がトップに載っていた。そして松島の光景の屏風が掲げられ、自然が日本にとって、西洋と異なる、特別の関係にあると強調する記事がのっていた。そして彼らも、その態度に、共感の気持をもっているように感じた。キリスト教の「神―人間」と「悪魔―自然」という図式は、彼らにとっても決して正しいものではない、ということを気づいているからだろう。

私のイタリア語版の『日本美術全史』は五月末に出版されることになっている。