NHK「写楽」番組への抗議

2011年5月12日夜9時からNHK BS103で「写楽」に関する一時間番組があった。

これに対し、私は下のような文章の抗議文を、13日の朝にNHKの担当者(私も取材を受け、冒頭に私の古い映像が出ている)に出した。

するとその翌日、別の担当者から電話があり、是非、お会いしたいというので、いろいろ都合があってやっと、17日午前11時拙宅にその担当者が現れた。3時間ほどおり、この抗議文について解答を試みた。私は、自説よりも、浮世絵制作について、根本的な誤りがある、ことを強調し、それへの何らかの訂正なり、別意見を発表する必要がある、と主張した。その担当者は、それを検討する、といい、また来ることを述べられた。

しかしその後、何の連絡もないし、私自身も、この抗議文を、どこに送り、どこで発表するか、迷っているので、まず、このホーム・ページに掲載することにした。

「抗議」

5月12日9時からのNHK BS 103の「写楽」について番組の決定的は誤りがありましたので、公共放送を使って、浮世絵の絵師の役割そのものの芸術性を否定するような常識外れの番組を流したことに抗議せざるをえません。

むろんそれはこの番組に生出演した方々への批判ともなります。

それは、まず、写楽の線、色彩、緊張感といった芸術性が、この番組では、彫り師、刷り師の技術によるものだ、という仮説の誤りです。そうすると、この番組は、それら彫り師、刷り師が誰だったのか、という番組にならなければならなかったはずです。これは奇妙な仮説です。

歌麿、北斎ら、当時の絵師たちは、皆そうだったのでしょうか。その肉筆画が残っていますが、すべて浮世絵の線、色彩と同一と考えていいものです。彫り師、刷り師は、それを忠実に再現したに過ぎないことがわかります。

そうしますと、この写楽だけが、「素人」的な線、色しか描けなったことになります。おそらくだから、十か月で辞めたのだ、といいたいのでしょう。この番組は、それら写楽の素晴らしさを作り上げた、彫り師、刷り師が一体誰だったのか、という番組にならなければならなかったはずです。それを探すのは可能なことです。しかしなぜ、それをやらなかったのでしょう。出ていた二人の学者が、そんなことが妄想だと知っているからです。

この番組は、最初から写楽を「素人」の能役者、斎藤十郎兵衛とする意図で作られており、他の説は、ただそれを浮き立出せるために、短く扱ったにすぎません。

この「素人」説にするために、浮世絵の根本的な問題を否定しています。それは繰り返し言いますが、浮世絵制作における絵師の役割を完全に軽視しているところです。

あの写楽の強い線、しっかりした描線、色彩が、絵師の手になるものではなくて、玄人の彫り師、刷り師の技術によるものだ、という奇妙な仮説の上に立っている見解なのです。

これはギリシャ国立ゴルフ・アジア美術館にある「四代目松本幸四郎と米三郎」図の肉筆画を写楽である、と決めつけていることに問題が派生しています。この肉筆画の線は、誰が見ても、勢いがなく、なそったような、(皆さんがおっしゃるような)「素人」の線です。それを写楽の作品だ、と認定して話を始めてしまったところに問題があります。

実をいえば、写楽の「松本幸四郎」図を、コピーしている浮世絵があります。それは栄松斎長喜の柱絵の『高島ひさ』図です。この図には、写楽画が、団扇絵として描かれています。その図を拡大して見ますと、ギリシャの肉筆画と同じような筆遣いなのです。また石水博物館の『老人図』にもよく似ています。

つまり、ギリシャの肉筆画が、この写楽の模倣絵師であった、長喜のものだった、という重要な認定がなかったために、誤りを犯したことになるのです。これは両学者の大変な誤認と言っていいと思います。

この誤認を犯したために、絵師の役割を否定し、彫り師、刷り師の役割に帰してしまう、誤りをしてしまったのです。

従って、これについて、訂正、もしくは、誤りであることを、示すお知らせを出すか、また番組を作成べきだと思います。