「道徳」という言葉そのものが、戦後、多くのマルクス主義者やリベラリスト達によって、人間を抑圧するものの代名詞のように語られてきたことは、いみじくも戦後「民主主義」というものが、「道徳」論を欠いたことを示している。「道徳」の教科化が進められている今日でも「軍国主義の柱である修身科の復活」だとか「価値観の押し付け」などと、日教組が反対しているのも、裏を返せば、彼らが「道徳」を否定していることを露呈させている。しかし今や、彼ら自身のイデオロギーの崩壊によって、その主張は力を失い、「道徳」をあらためて論じる時期に来ていると感じられる。それは教育界だけでなく、政治、社会の中でも重要な課題となってきたのである。早くから「日本道徳」を説いた西村茂樹の思想についての考察が、この時代となって大きな示唆を与える時代となってきたとも言える。
現代の「道徳」の荒廃は、何もいじめの問題だけでなく、例えば、近い事件でいえば、「民主主義」の選挙で、四三四万票もの最多の投票数をえて東京都知事になった猪瀬直樹氏が、金銭「道徳」の欠如で、その地位を一年で退いたことに端的に示されているようである。氏は、初の戦後生まれの都知事となった人物である。ここに戦後教育の「道徳」観を示す戦後世代として一典型を見ることが出来るといってよいであろう。氏は、一人の論客としても、戦後の「マルクス主義」の洗礼を受けた「全共闘世代」の一人でもあった。 氏は平成二十四年の都知事選前に、「医療法人徳洲会グループ創設者」の徳田虎雄氏に都知事選に出るために、息子の徳田毅衆院議員を通じて一億円を所望したという。徳田氏は五千万円を「足がつかないよう」議員会館で渡したとされる。その後、借用書をマスコミに提示し、「個人の借入金であり選挙活動とまったく関係ない」と釈明し、公職選挙法で報告が義務づけられる資金ではなかったと主張した。しかし、そのあいまいさを指摘され、最終的には辞任に追い込まれた。選挙のためにえた金を、私費に流用しようとして、折から選挙違反をした徳田議員との関連で、追求されたのである。むろん、病院設立などの認可権をもつ都知事に対する賄賂の疑いも指摘された。
「道徳」というものは、言葉自体の詮索よりは、実際の人間の「公私」の生活、実際の社会における行為の中で、どのように生かされるか、それにかかっている。ここに問題されるのは、「公」の「公職選挙法」によるお金と、「私」の「個人の借入金」にしてしまったという問題である。一個の人間は言うまでもなく、「共同体」で生きる「公」の存在であるとともに、「個人」としての肉体と精神を持つ「個」の存在でもある。「道徳」とは「公」の存在であることに基礎をおいている。その「公私」の「道徳」の混同がここにあるのである。
氏は副知事の時代、「言葉の力『再生』プロジェクト」なるものを、立ち上げたことが知られている。二〇一〇年四月、若者の活字離れの問題を解決するために、「日本人に足りないのは論理的に考え、議論する『言語技術』」が必要だというのである。「言語」の専門家を招いて若手職員向けの講演会を開催したほか、新規採用職員を対象に言葉の表現力を高める研修を行った、という。都の職員の研修を継続させると共に、東京都民を対象に十一月三日「文化の日」には「読書」と「言葉」をテーマにしたイベント「すてきな言葉と出会う祭典-『言葉の力』を東京から-」(於:東京国際フォーラム)を開催したりした。
氏が言葉に鋭敏であったことは、二〇〇九年に刊行した『ジミーの誕生日—アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』(文藝春秋)という本でも、よく表されている。この本では、昭和二十三年十二月二十三日に東条英機ら「A級戦犯」七名が死刑に処されたことに着目し、GHQ が皇太子明仁(当時)の誕生日に死刑執行をしたのはなぜかという謎を解いている。この一致は「単なる偶然ではない。皇太子明仁の誕生日に東条英機が処刑されたという歴史的事実をひとつの暗号とみて戦後史を読み解くべきではないか」というのである。これなども、言語に鋭敏なこの評論家であるが故に書く事が出来た、と言えるであろう。米の対日占領政策が、日本の「公」の「道徳」感を潰しにかかったのである。
一方で、言葉において鋭敏は感覚をもち、その論理性、表現力の問題を重視しながら、行動においては、「公」と「私」を混同して、辞任に追い込まれたことに、自ら政治家として「アマチュア」であった、などと弁解したが、戦後日本の資本主義社会における「道徳」が、いかに危ういものであるかを示していることになる。
その原因は何であろうか。そのことは、すでに、西村茂樹が、日本の明治以降の「近代化」の過程で書かれた「日本道徳論」で警告していたことであった。
西村は「道徳学ハ現今日本二於テ何程大切ナル者ナルカ」で、「凡ソ天下二道徳ヲ説クノ教数多クアレドモ、合セテ之ヲ見ルトキハ二種二スギズ、一ヲ世教ト云ヒ、一ヲ世外教(又之ヲ宗教ト言フ)」と述べている。「世教」「外世教」と、今日では聞き慣れぬ言葉が使っているが、要するに、「世教」とは、支那の儒道、欧州の哲学のことを指し、「世外教」とは、仏教、キリスト教などの「宗教」のことである。この「世」とは「現世」のことで、「世外教」というのは、宗教が「帰着スル所ハ未来ノ応報ト死後魂魄(こんぱく)ノ帰スル所二在ルヲ以テナリ」からであると言っている。
「世界何レノ国二於テモ、或ハ世教或ハ世外教ヲ以テ道徳ヲ維持セザル者ナキニ、我ガ国独リ道徳の標準トナル者ヲ亡失シタレバナリ。其後二至リ或ハ耶蘇教ヲ説ク者アリ、或イハ西国ノ道徳学ヲ講ズル者アリトイエドモ、耶蘇教ハ仏教者力ヲ極メテ之ヲ排撃シ、道徳学ハ唯学士ノ嗜好ヲ以テ之ヲ為ス二止マリテ、共二全国公共ノ教トナルコト能ハザルナリ。是ヲ要スル二封建ノ時代ハ儒道ヲ以テ公共ノ教ト為シ政府人民皆之ヲ以テ標準トナシシモ、王政維新以来全ク公共の教トイフ者ナク、国民道徳ノ標準定マラズ、以テ今日二イタレリ」(「日本道徳論」『西村茂樹全集 第一巻』思文閣出版、平成十六年、一〇四頁)。
西村は、道徳というものは、思想や宗教によって、維持されるものであるが、日本では、それらが定まらず、それ故に、「道徳」をこれから、日本の標準で定めていかねばならない、というのである。支那は「世教」の儒道で、西洋は「世外教」のキリスト教で、その道徳を支えているが、日本では共に定まっていない、としてこの「日本道徳論」を講ずる理由を述べているのである。
もし、日本の現代が、戦後憲法にもとづく「民主主義」が、道徳の基本とすれば、それはまさに、西洋の「世教」すなわち「思想」「哲学」が、その標準になることである。西洋の「道徳」がキリスト教を標準としているのに対し、そうではない西洋思想や哲学で「道徳」を述べようとすることは、日本だけの人工的なものだ、ということになる。
このことは、戦後の日本の「道徳」が、西洋のような宗教に依拠せず、「民主主義」という制度的用語とその思想に、過大な役割を背負わせ、日本人本来「道徳」を失っている、ということを示しているように思われる。それが戦後世代の代表的論客でさえ、東京都知事(少なくとも最高の票をえた)の職を降るという失態を演じざるをえなかった「道徳」の荒廃を、物語るのであろう。